夕方、クリニックに戻っていると、先生の電話が鳴りました。
N病院の患者総合支援センターの看護師さんからです。
ノルアドレナリン®※1の持続点滴を行っている患者さんです。
「家に帰りたい」と希望されており、ご家族も「連れて帰ってあげたい」と言われているとのこと。
在宅で訪問診療を引き受けてもらえるかとの相談でした。
24時間持続で血圧を上げる薬を使用しないと、血圧を維持できない厳しい状況です。
先生は、厳しい状況でも「帰りたい」と言われているならとお引き受けすることにしました。
※1ノルアドレナリン®:昇圧薬。多くは集中治療室などで厳密に使われる。
翌朝、北端さんがノルアドレナリン®の薬剤や必要な物品を
至急で業者さんに注文してくれ、夕方には納品してもらえることになりました。
訪問車で移動中にも、患者総合支援センターの看護師さんと連絡をとりあい
先生と私は16時にN病院に行くことになりました。
病院では、まず主治医の先生から大野さん(仮名)の今までの経過や現在の病状
治療状況 等について、説明をしてもらいました。
続いて病棟の看護師さんからも、情報を教えてもらいました。
甲状腺から転移した肺の腫瘍は、この1週間で一気に大きくなり、左の肺はほとんど潰れています。
酸素を10ℓ/分 リザーバーマスク※2で吸入し、かろうじて安静を保っています。
入院後より体の状態も急速に悪くなり、血圧も保てなくなっていました。
骨への転移もありましたが、痛みがないのが幸いです。
※2:酸素無しでは呼吸状態を維持できない状態。通常マスクでは酸素が漏れていく。マスクに袋(リザーバー)が付いて酸素をためることができ、効率よく酸素を吸うことができる。
続いて、次男さんご夫婦に、主治医の先生から再度病状についての説明がなされました。
大野さんご本人もそうですが、この短い期間で目まぐるしく容態が悪化し
なかなか気持ちがついていかないところだと思われます。
それでも、冷静に
次男さんご夫婦は、お母さんの厳しい病状を十分に理解されていました。
血圧を保つにはノルアドレナリン®の継続が必要です。
使用していた輸液ポンプ2台を、そのままN病院から貸し出してくれることになりました。
(通常輸液ポンプの貸し出しはありませんが、状況が状況なだけにご配慮いただきました)
退院は、本日17時に決まりました。
患者総合支援センターの看護師さんが、民間救急車を手配してくれ
お嫁さんが同乗することになりました。
その後、先生と私は病室に案内していただき、大野さんに挨拶をさせてもらいました。
「はじめまして。このあと帰ったときに、ご自宅に行かせてもらいますね」と。
その後、予定の訪問診療を1件済ませたところに
N病院の看護師さんから「今、出発しました」と、退院の連絡を頂きました。
訪問看護師さんは、自宅へ直接行ってくれる手はずとなっています。
私たちも、すぐにご自宅に向かいます。
自宅に到着すると、酸素の業者さんが在宅酸素の器械(酸素濃縮器)を設置していました。
5分もすると大野さんを乗せた救急車🚑が到着しました。
訪問看護師さんと一緒に移動を手伝います。
玄関の土間から上り口の段差が大きいので、担架で持ち上げてベッドまで運びました。
仏間に続く和室に
介護用のベッド、エアマット※3、点滴の支柱台、酸素濃縮器が設置されています。
さながら、病室です。
痰をとる吸引器は訪問看護師さんが持って来てくれました。
※3:床ずれ予防のためのエアクッションのきいたマットレス。体重が分散され予防効果が高い。
血圧は80台です。
移動したことで負担になったのか、大野さんの呼吸は『ぜぇ ぜぇ』としています。
自宅に戻ったことはしっかりと分かっています。
娘さんが、抱いている赤ちゃんの顔を見せてくれました。
大野さんは、すぐにお孫さんの名前を呼んで、あやしています。
その様子を見て
「患者」から「おばあちゃん」に戻った瞬間なのだと感じました。
自宅でのこの時間が、あとどれだけ続くかはわかりません。
「家族みんなで時間を大切に過ごしてくださいね」と、先生はご家族の方々に伝えました。
長年過ごしてきた自宅で、みんなの声が聞こえます。
妹さん、長男さん夫婦、次男さん夫婦、長女さん夫婦、お孫さんが5人。
にぎやかにされています。
お母さんの病状を理解し、『一緒にお家で過ごしたい』と集まってくれました。