北林さん(仮名)が救急車🚑で病院に運ばれたその日
予定していた訪問の時間を繰り上げて自宅に伺いました。
「座りますわ」と言い、ゆっくりと起き上がって、ベッドの端に座ってくれました。
「だいぶ つらかったですね。救急車でのドライブも大変だったね。。。お疲れ様でした」と言うと
「そうなんですわ」と、しんどいながらも笑ってくれます。
(酸素は10ℓ/分で吸入しています)
「いつでも 僕 呼んでくれていいんやで」と先生。
「消防署が近いし、前に一度 救急車を呼んだときも、消防士さんが
『しんどかったら、いつでも連絡下さい』と言ってくれてたからかな。。。」と奥さんが話してくれました。
先生の診察を終えて、四人で話をしていると、、、
「父親の命日までは頑張りたいんです」と、北林さんは先生に話しています。
前々回の訪問の際、先生が奥さんや娘さんと別室でお話している時に、北林さんは私にその胸の内を
伝えてくれていました。
あと一日です。
北林さんは4歳の時にお父さんを亡くしており、顔を覚えていません。
「きっと、向こうに逝ったら、、、母が父親を紹介してくれるでしょうね。それが楽しみでねぇ。
僕が今この歳(70歳台)で、亡くなることを考えても、色んな思いが溢れてきてつらいのに。。。
父親は幼い4人の子供を残して逝かないといけなかったんです。
それを思うと、どんなにつらかったかと思います」と話してくれていました。
『父親の命日まで頑張る』という北林さんの言葉を聞いた奥さんは、、、
「私の誕生日は?」「お義父さんの命日の3日後よ!」「そこまでは、頑張ってよ❣❣」と言うと
「・・・あぁ、、、誕生日か 忘れてたなぁ。。。」と笑いながら答えます。
「久々に主人のあんなに笑った顔を見ました。先生たちが来られると笑顔なんです」と
奥さんの表情もやわらぎます。
北林さんは、病院を退院したときに
「(死ぬという)覚悟が決まりました」と 話していました。
病気のことも、亡くなるということも、そう簡単に受容できるとは思えません。
身体的なつらさ、精神的なつらさ…
日々葛藤しながらも、ご自宅で過ごされてきました。
3人の娘さんたちも実家に来てくれて
北林さんのリクエストに応えて、『思い出の豆腐ハンバーグ』を作ってくれました。
看護学生のお孫さんが足浴をしてくれました。
自宅で過ごすこの時間は、ご家族へのプレゼントの時間なのだと思います。
「もっと、こうしてあげたかった」という思いを、少しでも残さないようにするための時間。。。
どれだけ介護を頑張っても
「もっと。。。」と、家族の思いは尽きないと思います。
でも、してあげられたこともたくさんあるはずです。
そんな時間になることをいつも願っています。
「孫にも言ったんです。
一般の人が足浴するのと、看護師として足浴するのは意味が違うんやぞって」
おじいちゃんとして、患者の立場から、そして人生の先輩として、大切なことを伝えてくれています。
看護師になったら、プロであることを自覚して
『責任』ある仕事をして欲しいということを伝えたかったのだと思います。
(正しい知識と判断、技術力が大切だと。。。)
お孫さんへの ❛❛エール❜❜ です。
看護師になったときに、『おじいちゃんが何を伝えたかったのか』
思い出と共に、この言葉が心に響く日がくるといいですね。